6色の虹、赤いリンゴ、普通の家

言葉について三つほど、思い付きにくい話をしておきます。

「虹の色はいくつ?」という問を子どもにすると「ナナイロに決まってるでしょ」と答えが帰ってくるでしょう。でも科学的に捉えれば、太陽光をプリズム等を通して分光すれば連続するグラデーションが生まれるわけで、そこを七つに分けているのは科学的なものではありません。

それは文化や言語といった別のレイヤで、実際に海外では虹は6色だったりします(7色だから偉い、6色だから偉くないという話ではありません)。雪国では雪や寒さについての表現が多様になるように、文化や言語は置かれた環境によって姿を変えていきます。

大事なのは物事を捉える網目(メッシュ)が違うということを理解することです。そして、同じ単語を使っていても、その意味することが違うこともあるということも忘れてはいけません。違和感を感じたら、「ねぇ、それってこういう意味で良いかな」といった確認をした方が、最終的には楽なことがしばしばあります。

次に、言葉とその中身をどのように結び付けるか、という部分は意外と影響されやすく、知らず知らずのうちに影響を受けてしまうこともあれば、逆に影響を与えてしまうこともあるということを頭の片隅に覚えておきましょう。

言葉はすぐには影響をされませんが、結び付きは画像や映像、音楽などで影響されやすいのです。例えば昔は「白雪姫のりんご」は青リンゴも多かったのが、ディズニーの影響で赤リンゴに偏ったという話があります。アニメやゲームの伝播が文化を破壊する側面を持つことは、一応は押さえておきましょう(イコールで悪いとは思いませんが、敏感な人がいることは視野に入れておこう、というお話)。

三つめは、自分たちの言葉の裏に潜むフツー、トーゼンを少しだけ意識しようね、という心がけです。例えば「普通の家」という言葉は、日常的に耳にしたり使うかもしれません。確かに多くの人が当てはまるケースを普通として捉えることはおかしい事ではありませんが、当てはまらない人もいるし、使い方によってはそういう人を傷付けることがあるということも頭の片隅にメモっておくと良いです。

どれも大して役に立つ話ではないのですけど、思い付きにくい考え方ですし、言葉のことを考えるときには大事だと思うので書き留めておきます。

『ダンジョン飯』とジビエとハナアルキ

『ダンジョン飯』を購入しました。最初に感じたのは、一昔前のLoginに載ってそうな画風だな、という印象でした。しかしてこれが一部で大ヒットしているといのは喜ばしいことです。

ここ数年、狩猟とジビエへの注目がされているところで、ハナアルキばりにグラフィカルに生物に取組む画面の作り込みが非常に面白い。この企画力は本当に見事です。

現実世界にも多様な食文化があって、なかなかに衝撃的な食材や調理法があるわけですけど(国外から見た日本の方が大概だっちゅーのは放置)、これを異世界に拡張する本作のイマジネーション想起力はなんとも楽しいものです。

今後もペースを落とすことなく駆け抜けて欲しいです。

ちなみに、日常的に食べてる食品だって、その素材は製造過程は明かされてる範囲でもそれなりに衝撃的です。「昆虫由来だから合成じゃないョ」着色料とか。

お金の勉強01ゲーム:お金をどうやって使うかゲーム

『このゲームはフローラさんになりきって、お小遣いを上手に使って嬉しいポイントを沢山とることを目指すゲームです。』

……というカタチで学習ゲームの設計をざっくりと作ってみました。具体的なデータ類の作成やパラメータ調整をしないと遊べませんし、果たして面白い体験を生むゲームになるかはわかりませんが。

ゲームの骨子:【お小遣い】を上手に使って【嬉しいポイント】をゲーム終了までにどれだけ貯められるかを競うハイスコア追求型のソリティアゲーム

構成:【お小遣い】チップ、【嬉しいポイント】カウンター、【カレンダー】、【いまなに】ボード、【欲しいもの】【すごく欲しいもの】【できごと】カード。

盤面:山札、【いまなに】ボード、捨札

【いまなに】ボード:カード置き場。【欲しいもの】カード置き場×1、【すごく欲しいもの】カード置き場×2、【できごと】カード置き場×3。
【欲しいもの】カード:値段とポイントを表記したカード。一枚しか保持できないのでコロコロ変わる。
【すごく欲しいもの】:値段とポイントを表記したカード。値段が高いがポイントもすごく高い。滅多にでなくて二枚保持できるので少し根気強い。
【できごと】:イベントカード。全部で三枚あって、これが揃ったらカードはもうめくらない。

ゲームの手順:毎週お小遣いを貰う。毎日山札からカードを一枚めくって【いまなに】ボードに置く(すでに置かれていて置く場所が無ければ一枚捨てる)。お小遣いで【いまなに】ボードの【欲しいもの】か【すごく欲しいもの】を買ったらポイントを貰ってカードを捨てる。

ねらい:値段あたりのポイントは【すごく欲しいもの】の方が効率的で、上手にお金を残して使うことがハイスコアへの道。各パラメータの調整やイベントの設定でバランスを取るとして、「小遣いの4分の1を最初に分ける」とそこそこ上手く行くようにした上で、補助線として教えてあげて試行錯誤をしながら繰り返し遊ぶと教育的かと思います。可愛らしいイラストやフレーバーテキストをつけつつ、生活感が出ないような舞台をつけてあげると良いかも(一週間を6日にするとかナントカ)。

お金の勉強01:フローとストック

お金について勉強することは良いことです。とはいえどこから手を付ければよいのかが分かり難いので、子どもに説明する為のカリキュラムを作ってみることにしました。

まず理解したいのは、お金は「フロー」と「ストック」に分けて捉えよう、という考え方です。実際のお金には色が着いていないのですが、これを敢えて色付けするわけです。

フローは流れる水、ストックは蓄えられた水としてイメージされます。水に色はついていないのですが、そのシチュエーションで分けます。

企業会計では複式簿記と月次決算等により財務諸表を作成することで色付けをし直して把握しますが、これは手間がかかるので家計の銭管理では「入金時に貯蓄分を分ける」という方法がよく使われます。

子どもには以下のようなルールでお金を管理する練習をさせると良いでしょう(何かそういうゲームでも作って体験学習するというのでも良いですが)。このときルールはきちんと紙に書いて渡します。

 ・お財布と貯金箱を持つ
 ・お金を手に入れたら半分の半分を貯金箱に入れる
 ・お財布のお金は自由に使える
 ・お財布のお金は定期収入時に残っていたら貯金箱に移す
 ・貯金箱の中身を見たり使いたいときは親に相談する

これだけです。ちなみに、最初は上手く行かないことも折り込みましょう(大人だって出来てない人が多いわけですし)。親は定期的なサポート(どうするんだっけ、あのかみにかいてあるよ)や、できている部分を褒めるだけで、できなかったところは叱らずに次は頑張れと励ます方が望ましいでしょう。

お客さまは神様でしょうか

「お客様は神様です」というフレーズは、日本語において広く流通しているものの、誤解されている点が多々ある語句です。このため、教養あらんとする人は利用を避ける事が推奨されます。平たく言うと「このフレーズを使う奴はまず間違い無くバカだから、おらは相手にしない」ということであり、「バカに見られたくなければ使わないのが吉」ということです。

端的にいえば、売り手と買い手の関係性において、買い手(お客様)が上位に立つのは、需給関係が供給過剰になっている環境に限定されたものにすぎません。たとえば「砂漠の水売り」を想像してみてください。そこで買い手が神様のように振る舞えますか?

かように「お客様は神様です」というフレーズは、まるで絶対の真理であるかのように主張できるものではなく、所詮はちょっとしたパラメータが動けば成立しなくなる特殊解なのです。こんな簡単なことも理解せずに聞き慣れたフレーズだからきっと正しい、と安易に使う輩を相手にしても時間の無駄です。もちろん、慎重に彼我の関係を見計らって狡猾にこのフレーズを使う厄介な買い手ももしかしたら居るかもしれませんが……。

商売上で供給過剰な商材を扱う場合でも、表面上は失礼にならない範囲での最低限の態度を維持しつつ、真面目に相手をするのは避けるでしょう(他の客に資源を投下しましょう)。

バカ判定されない様、使用は控えた方が得策です。

ついでに言えば、原典であろう大芸人の三波春夫氏は、このフレーズは芸事でのフレームワークであり、一般商取引を想定したわけではないという主旨の発言をしてたりします。

お金を使うことの快楽についてきちんと向き合おう

お金について理解して意識したほうが良いことに「お金を使うことは気持ち良い」という点があります。このことを適度に理解して、お金と付き合う自分なりのスタイルを作ることが大切かと思います。

何故「お金を使うことは気持ち良い」かというと、供給が需要を上回ることが常態化している今日の日本において、お金を払ってくれる人は、その人がどんな属性(年齢、性別、外見、職業、地位等など)であろうと大抵は表面上は恭しく応対されるからです。日頃から見下されてストレスを感じていても、お金を払う局面までは王様気分が味わえるのですから、気持ち良く感じるのは仕方がありません。

ここで誤解しないで欲しいのは、何も「お金を使うことが持つ気持ちよさ」が悪いものと考えているわけでも、「お金を使って気持ち良くなること」を否定するつもりもないという事です。あくまでもお金を使うことが気持ち良く感じるという仕組みを理解し、無意識のうちに気持ちよさに流されないよう、意識したほうが良いと考えているということです。

極端なことを言えば、一時の快楽としてコントロールできるならば、身代を潰さない範囲でストレス発散として散財するのは経済的に良いことで、推奨したいぐらいです。

あと、今どきの子供はお金に触れる機会が増える一方でこのことを学ぶ機会が減っているでしょうから(子供が一人でお金を払うときに、売らない商売人は減ってると思います)、きちんと学べるようガイドしとければ良いかなと思います。

人に優しくできるときだけ書き込もう

生きていれば辛いことは山のようにあって、にっちもさっちも行かなくなってこころが荒むこともあります。無性に苛立って誰彼構わず罵倒して、蔑んで詰って困らせて、相手の反応を楽しみたくなることだって、あるでしょう。

そういう気持ちに囚われることは、(その頻度に個人差はあるかもしれませんが)誰にだってあるでしょう。だから他人に苛烈に、攻撃的に、嘲笑混じりに接しそうになることは仕方ないことです。

でも、できることならば、他人に対して優しい気持ちになれない時はネットから距離を起きましょう。これは道徳的な理由だけではなく、功利的な理由もあります。

功利的な理由から簡単に説明すると、大きく分けて2つのあります。まずネットには匿名性というものはほとんどありえず、誰が発信したかは手間暇やお金等をつぎ込めばわかります。そして書き込んだ情報は、基本的に消えません。つまり、一時の気持ちの高ぶりで粗暴に振舞うと、将来に後悔することになりうるということです。

そして、道徳的な理由ですが、これは簡単です。粗暴な振る舞いは他の人を不快にして、粗暴な振る舞いを誘発します。クソみたいな現実からクソを一掃することがそうそうできない以上、ネットぐらいは綺麗にしておけると、なんだか気分が良いじゃないですか。

ビバ痩せ我慢。